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ローレン 意味のない記号の詩

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健が面会室に入ってくる。父親と母親、思わず、バッと席から立ち上がる。

「あの……久しぶりね」

母親が繕った笑みを浮かべて健に話しかける。

「着替え、ないでしょう。差し入れ、しといたから」

「……どうも」

「ねえ、ちゃんと食べてるの? 少し痩せたみたいだけど……それから、あの、弁護士さんもね、健が、酷いいじめにあってたっていうの、そういう状況っていうの、考慮……考慮っていうか、まあ、してくださるみたいだから」

父親、硬い表情を崩さない。

だが、おもむろに口を開く。

「……お前が、家の貯金全部盗んだのがわかったとき、勘当とか、そういうこと言ってなかったらなと思うとな、俺にも責任」

「あのさあ!!」

場が凍りつく。

「なにを今更家族ごっこしようとしてんの?」

「いや、違うの、健、聞いて、精神鑑定とかで減刑だってあり得るかもしれ」

「もう終わってんだよあんたらとは!! こちとら!! もういい? 帰ってくんない? 遅い遅い!! はい! もうこれで全部おしまい!! 二度と来んなって。いいな? テメーらも犯して殺してやろうか?」

「……」

「怖いだろ。僕のこと怖くて怖くて仕方ないだろ」

「……なあ健」

父親が再び口を開く。

「やっぱり友田がお前をそそのかしたんだろ、そうなんだろ? だって轢かれた真百合ちゃんの死体をその……なにもあんなに……」

「死体の首絞めて犯しました。既に死んでたのに首絞めると漏らしたんだよあいつ。それがなんか面白くて!! 汚ねーしビショビショだし。僕何回もヤッちゃってさあ!!」

「健。友田の影響だろ。何度も会いに行ってたときに、なんか、言われたんだろ。そうなんだろ。な、そうなんだろ!!」

父親、思わずテーブルをぶっ叩く。アクリル板の向こうの警官が振り向く。

「……すいません、失礼しました」

警官、少し首を横に振って、また書類の置かれた机に向かう。

「違うね」

健、爆笑。

「なにが違うんだ」

「なにもそそのかされてない。あれは僕の意志で全てやったこと。まあ……友田さんは僕にとってのメンターだったけど……全部教えてくれたんだよ。マトモかクズか見分ける方法。クズのあんたらが全力で見てないふりしてたこと全部」

「あんな狂った殺人鬼のどこがよかったんだ、答えろ、健!!」

「あーあー。うるさいうるさい。興奮しないでください。ウザいから。友田さんは欲望に忠実なだけだよ。大体、この世界が全部おためごかしってこと、叩き込んでくれたんだ。学校とか、評価とか、病気とか、障害とか、どうでもいいんだって。殺人鬼志望なら殺人鬼に『なりすませ』って言ってくれたとき僕は本当に救われたよ……こんなクソみたいな人生でも役割を見つけられるってこと」

母親、泣き始める。

健、その様子を見てため息をつく。

「はー。マジで死んでくれませんか? 交通事故か通り魔か轢き逃げでもなんでもいいからさあ……。僕の大量殺人? そんなもんになんかの意味つけたかったらおたくらで勝手につけてくださいよ!! 偉そうな専門家がしたり顔で語るだろうね!! でも、ほんと無意味なもんだから!」

警官が言う。

「時間です」

健、立ち上がる。

「健、健、行かないで、ねえ、お願いだから……」

母親、我を失ったように泣きじゃくる。

父親、険しい顔をしながら、母親の華奢な肩に手を回す。

「母さん、もうこいつはダメだ。国が真っ当に裁かないと無理だ。俺らの手ではもうどうにも……」

「そうだよ。馬鹿みたいに被害者ヅラしてるあんたらには永遠に僕のことは理解できない。頭悪りぃんだな、あんたらは。じゃ、まあ、さようなら」

健、わざとらしく、ふたりに一礼。

そして、警官に連れられ、面会室から出て行く。

「健……!!」

母親の絶叫が静かに響く……

 

 

 

 

 適当に引っ掛けていただけだったから、血の重みでマスクが地面に落ちた。体育館の裏で殴られている間にいつも考えているのは、今描いている絵の続きのことだった。深緑を足す。藍色を混ぜる——。そう考えていると、こいつらはいずれ飽きて、学生鞄を背負い直して、帰ってしまう。それでいい。今は三月。だから、あと四ヶ月。四ヶ月で、受験期の夏がやってくる。そうすると先公がキーキー言い始めるので、そこからはこいつらも少しは落ち着くだろう。僕は来年の春から美術科のある高校に入学し、この過去とも縁を切るつもりだった。

 しかし、今日は勝手が違った。

「真百合……!?」

 幼稚園からの幼馴染の真百合がグループの奴らに引き摺られて、羽交締めにされ、もう下着が見えてしまっている。

「健、助けて……!!」

 真百合は僕の初恋の人であり、これからもそれはずっと変わらない。少し自閉傾向のあった僕をなにかと気にかけてくれた優しい娘(こ)だ。

「な、なな……なにしてんだ。頼む、お願いだから、真百合には手を出すな。頼む。なんでもするから……」

「自閉症のくせに今日はお喋りだな。ん?」

 リーダーが僕の顎をくい、と引き上げてニキビ面を晒した。頼む、ともう一度頼んだとき僕の腹に強烈なキックが入った。そして真百合は——。

「ぎゃああ!!」

「うるせえバカ女。さっさと股開け股。お前の母ちゃんも売春婦なんだからよ」

 無理やりパンツを脱がされ、白い尻は丸見えになっていて、……

「頼む、頼む、本気だ、僕じゃ駄目か? 僕を犯せよ!!」

「誰が男なんか。おい、早く挿れろ。急がないと先公来るぞ」

 ウッス、と瓢箪顔の二番手がズボンを脱ぎ、真百合の中に性器を入れた。

 

 

 僕と真百合は、全てが終わった後、横たわっていた。結局、真百合はあの後、六人にまわされた。夜、黄昏、うだるようで気怠い日差し。酷く陳腐な二人の虚ろな眼差し。街燈。

 

 

「……健、昔っからわたしがいつも助けてあげたのに、今日は、助けてくれなかったね」

 真百合は僕だけに聞こえる小声でそう言って、寂しそうに笑った。長い髪は汗でずぶ濡れだった。

 僕は、どうにもならなくなって、叫んだ。

 

 

 

 

 座間で9人を殺害した友田尚之、彼が自分をモデルに書いた小説がクラスで流行っているのは、なんとなく知っていた。タイトルは『ローレン』。SNSでバズっていたらしい。クラス全員がスマホで読んでいた。ツイッターのトレンドにも入ったらしい。噂で聞くに、その小説は未完で、続きは友田しか知らないらしい。

 だけど僕はまるで興味がなかった。真百合が犯されてからというもの、絵も、描かなくなってしまった。当たり前だが、真百合は僕に話しかけてくれなくなったし、廊下で鉢合わせたときも、避けているのがわかった。あれから、世界の全てが、見え方が、変わってしまったのだ。

 何度も真百合に向けて「ごめん」と書いた遺書を遺して、自殺しようとした。だが、その度に母親が叫び立てて、このキチガイ、どうして私の息子がこんなことをするのと言って僕を狂ったように殴るのだった。

 その度に僕は思ったもんだった。

 ただの専業主婦のくせに、父親の稼ぎで生きてるだけのくせに、なんでこんな偉そうな振る舞いができるんだろう……?

 でも、虐待がひと通り終わったあと、母親は必ずピザや寿司といった出前を取った。

「……償いのつもりですか」

 僕はそう言った。でも母親はそれに答えず、

「健、ね、これ食べちゃって。お父さんと三人で、ちょうど食べきれる量だから」

と、母親は、笑いながら明るく言うのだ。この女はサイコパスなんじゃないか、と僕はその度に真剣に思った。おまけに母親は全く掃除をしない、というか、できないひとだから、家は常にゴミが詰め込まれた袋だらけだった。簡単に言うとゴミ屋敷だ。母親は、テーブルからのけるようにゴミを床に落として、ピザの箱を置く。

「ね、食べて食べて。ほら早くー。健のね、好きな、アンチョビかかったやつ。おいしいわよ」

 そう言って、母親は無我夢中でピザにかぶりつく……

 学習塾を営む父親は、そんな僕らに無干渉を貫いていた。

 しかし一度、なにをトチ狂ったか、急にブチギレた母親が僕の頭に向かってテレビを放り投げて、テレビの画面がバキバキに割れてしまったことがある。

 僕は放心状態になって、しばらく横たわっていた。あとから鏡で見ると、血がだらだらと流れて、しかも恐る恐る触ってみると、頭の表面の皮がずる剥けになっていた。

 結果を言うと、僕は自分で救急車を呼んで、病院で21針縫ってもらった。

 そして、病院から帰ってきたときの、母親と父親の会話がこうだ。

「テレビねえ……どうしようか、お父さん。WOWOWドラマも観れないと困るし、朝ドラだって最終回、もうすぐだし……」

「テレビは新しいのを買おう。シャープからちょうど新しいモデルが出てるから」

 マジか。

 こいつら、新しいテレビの話してる。

「……ちょっとちょっと、お父さん、なに言ってんだよ……なんでテレビの話してんだよ……僕、21針も縫ってるんだよ!? 助けてよ……お母さん、マジで異常だから!! このひとこの家から追い出してよ!! このまま、こんなのが続いたら、僕、ほんと殺されるよ、このひとに……」

 父親は、頭に包帯をグルグル巻いた僕を見て、言った。

「健、少しは自分が悪いとは思わないのか。お母さんをこんなに困らせて、どういうつもりだ。テレビを投げつけたのは、お前のせいだ。お母さんをノイローゼにしたのはお前なんだ」

「え……」

「大体、お前が自殺しようとしてるからお母さんも参ってるんじゃないか。お前の自殺を止めようとお母さんは頑張ってるんだ。いつからお前はひとに迷惑をかける人間になったんだ。俺はお前をそんなふうに育てた覚えはない。そんなに死にたいなら」

 父親はゴミにまみれた床から掃除機を引っ張り上げて、その紐で僕の首を思いきり締め上げた。

「苦しい苦しい!! ……なにして……」

 どんどん酸欠になって意識が朦朧としていく……

「お前は俺が殺してやる。これは家族の問題だからな。俺が刑務所に入ってやるから。大体、自殺されたら、世間体が悪いんだよ。育て方が悪いって、お母さんまで被害を被ることになるんだよ。俺が悪人ってことにしてな、家庭内暴力でな、お前を殺したってストーリーの方が、皆納得するんだ」

 足が痙攣しはじめて、体がいうことを聞かない……

「お父さん!! もうやめて、お願い……」

 なんと母親は、目に涙を浮かべて、父親に懇願したのだ。

「健が死んじゃう……!!」

 その瞬間、父親は手の力を弱めて、僕を解放した。

「お母さんがそういうなら……」

 僕はゲホゲホ言いながらゴミの山に倒れ込んだ。

「健、もっと、生産的な人間になれ。大体、高校だってなにも美術科に行かなくたっていいじゃないか。これからはプログラミングと英語の時代だ。ビジネスを学べ。お前がその気なら、そういう塾に通わせてやってもいいんだぞ。いくつかいいところ、知ってるからな。大体、お前の下手くそな油絵に未来なんて、無いだろう?」

 母親は床で泣き崩れている……

 僕は、なにも、わからなくなった。

 僕はこのときのことを、死ぬまで、忘れないだろう。

 

 

 

 

「おい」

 また、いつもの体育館裏で。これが僕の日常。

 もうどうにでもしてくれよ、と本気で僕は思っていた。殺してくれるなら殺してくれ。

「お前、この続き、友田に聞いてこい。わざわざコピーしてやったんだからな。コピー代かかってんだぜ!!」

「は……? なんの話……? 友田……?」

「『ローレン』だよ。知らないのか? 知らないわけないよなあ!!」

 頬を平手でぶたれて、僕は吐血した。

「どうやって続きなんて聞くんだよ……」

 僕は力なく笑った。

「知らねえよ。お前の足りない頭で考えな!!」

 そう言って、大量の紙が僕の上を舞った。連中が行こうとしていた。

「待ってくれ。……もし」

「あ?」

「もし!!」

 僕は必死だった。

「もし、なんなんだ」

 リーダーは半笑いで僕を見ていた。

「もし、この話の続きを聞いてこれたら、真百合に謝ってくれ。それから……僕への暴行をやめろ」

「ま。考えとくわ。じゃーな」

 連中は笑いながら去っていった。僕は血眼でその紙切れを集め始めた。空を見ると、雨が降りそうだったから、濡れないように急がなければならなかった。

 

 

 

 

「なんだこれ……あまりにもくだらなさすぎるだろ……」

 団地の一角にある自室で、僕は愕然としていた。母親が買ってきたコンビニ弁当を食べながらあいつらが残していった未完の『ローレン』を読んだのだ。

 なにより文章が幼稚だし、被害者たちの心情がまるで書かれておらず、ただただ神経症的に「死にたい」と言っているようにしか読めないし、これじゃまるで言葉の自動機械、つまり感情のないAI、いやそれより酷い……。そんな彼女、彼を友田尚之が記号のハンドルネーム《−》で釣り上げただけだろう!?

 僕がなによりも絶望したのは、座間9人殺害事件の「意味のなさ」だった。

 僕は、1997年に起きた酒鬼薔薇聖斗事件やその犯人である少年Aに心酔しているうちのひとりだった。関連書を読み漁っていた。しかし彼だけではない。ジェフリー・ダーマー、テッド・バンディ、ジョン・ウェイン・ゲイシーなど、世間を戦慄させた歴代の殺人鬼のファンだったのだ。殺人は芸術だ。想像力そのものだ。破壊することではなく、意味そのものを創造すること。社会を変革すること。彼らのように強く、そして勇気があれば、今の僕の狂ってしまった日常は、良き方向に向かう、真百合ともまた……と固く信じ込んでいた。僕は彼らに憧れるあまり、ダークウェブでスナッフビデオを買って、好んで鑑賞していた。僕のPCの中にある残虐極まりないデータのことは、クソな母親も父親も知らない。これは僕だけの世界だ。

 僕が『ローレン』の残念すぎる文章を読んでショックを受けているとき、仲の良いスナッフビデオ愛好家からチャットが飛んできた。

 

@Xhhryru

“三歳児(女児)の脚の切断動画入手しました、いりませんか”

 

 僕は舞い上がり、すぐに振り込むので是非くださいとレスを返した。気分を上げる必要があった。そしてPayPayで払おうとしたら残高が足りなかったので、急いでチャージした。

 

@Xhhryru

“振込確認できました、ありがとうございます”

 

「うーん……もうちょっと切断部分がよく見えたら最高なんだけどな……でもこれはこれで良いのか……血飛沫も下品な感じじゃないし値段分の価値はあるか……」

 画面の中では、巨大な斧が上から降ってきて、スパーンと女児の脚が玩具のようにぶっ飛んでいた。ボンレスハムみたいだった。スカッとするこの瞬間がたまらなかった。

 でもビデオを観終わった後、僕は学習机の下に潜り込んでぼろぼろと涙を流していた。なぜなら、これは自分自身の弱さを映しだしていたからだ。自分は一体このビデオになにを求めていたのか……? 自分はこの生活になにを期待していたのか……? だって、必ずそこにあるのは、絶望だったから。

 そんなとき、いつも繰り返し思い出すのは、幼稚園のときの記憶だ……

 

 僕は小さいとき、本当に自閉傾向が酷くて、誰にも相手にされなかった。孤独に絵ばかり描いていたのだ。そんな中、僕に話かけてくれたのが真百合だった。

「健くん、絵、凄いうまいんだね!! これ、次の幼稚園の絵のコンクールに出してみたら?」

「いや……そんな……」

「出してみようよ! 天才だ天才。ピカソくんだ。うん、ピカソくん」

「ピカソくんって……」

「でね、あのね、うちのお母さんね、ちょっと秘密の仕事してるんだ」

「秘密の仕事?」

「……うん。誰にも言えないって、お母さんが」

「でも仕事とかなんでもいいじゃん」

 真百合の目はそれまで虚ろだったのに、いきなり輝いた。

「……ピカソくん、ありがと!!」

 結局、僕の絵は、幼稚園のコンクールで金賞を獲った……

 

 しかしそんな幸せな記憶に逃避しながらも、僕の頭の中を占拠していたのは、つまり、本当に気になっていたのは……犯人にとっても、単純に事件としても、無意味すぎる行為が何故9回も行われたのか、ということだった。本当にこれは無意味なのか? この文章から汲み取れないなにかが、まだあるんじゃないのか? 未完の『ローレン』には、友田がどんどん死体の解体に慣れて、早くなっていく過程……最後の方は約二時間程度で終わったことが拙い文章で綴られていた。僕はなんとなく、引き出しからレターセットを取り出した……

 

 

 

 

「……あの、ちょっといいですか」

 あいつらに普通にボコられてからの下校途中、僕はオッサンに声をかけた。

 オッサンは僕の顔の痣に驚いたようで、わかりやすく背中をビクッとさせた。

「毎日ここの公園で焼きそばパン食ってますよね」

「まあ……そりゃあ……食べないと死ぬからね……」

「スーツ着てますけど。ホームレス?」

「違いますよ!! ただ、リストラされて、まあ、嫁と子どもに追い出されて、行く所もなくて、とはいえ簡易宿泊所とかにはたまに泊まってるよ! そんでまあ、……現在に至るってか」

「ほぼホームレスじゃないですか」

「厳しいな、キミ……」

「仕事の相談があるんですけど。いいですか? 金ないですよね。多分断れないですよね。借金まみれっすよね」

 僕はこの時点で、父親の箪笥貯金の全てを盗んでいた。幸い、まだ気づかれていない。まあそんなチンケなことはどうだっていいんだが……。

「……その制服、近所の、ってかすぐそこの丘乃咲の中学生だよねキミ。あのね。おじさんをからかうんじゃないよ!! なんだ仕事の相談って!」

 僕は財布から万札を何枚も取り出して、オッサンの膝の上に叩きつけた。

「ちょっと……これ……なんのお金?」

「仕事の報酬です」

「ええ!? こんな大金……どこかで盗んできたんだろ!! なにしてんだキミは!! 通報するぞ!!」

 通報、という言葉にキレた僕は膝に叩きつけた金の束をまた財布に仕舞ってそのまま歩き出そうとした。オッサンの代わりならいくらでもいるだろう。

「ちょっとちょっと……! わかったって。待ちなさい。あの、話半分で聞くけどね……その、キミが言う『仕事』ってなんなの?」

 僕はまくしたてた。

「ちょっと学校の夏休みの自由研究で。ヒト、9人バラした男に取材しに行くんですけど、僕、中学生なんで、ひとりで刑務所に入れないんですよ。あ、でも被告には一応面会の承諾、貰ってますから。承諾さえあればあとは保護者っつーんですかね、それが必要で。いやあもうこの面会の承諾を貰うために手紙何通も何通も送ったりね……まあ、色々したんですよ僕は。だからもう引き下がれないんですって。友田って男、知ってます? 座間のアレ。で、おじさんには雑誌社のライターって役割で同席して欲しいんです。もう既に適当な名刺は作ってあります。そしたら合法的に刑務所入れるんで。質問とかはしなくていいです。なにも喋らなくていいです。内容は全部僕が考えてるんで、大丈夫ってか。ただ、隣に座ってるだけの仕事ですよ。簡単でしょ?」

 オッサンは僕を下からじろじろ見上げた。

「……キミ、病んでるよ……病院、行った方がいいんじゃないの、初対面でこんなこと言うのアレだけど、ほら、頭の病院……」

「……」

「自由研究とか、嘘でしょ。あのね。おじさんはこれでも、一応四十六年生きてるんですよ。だから中学生の嘘ぐらい簡単に見抜け」

 僕はオッサンの頬を思いっきりぶった。

「痛ッ!!」

 札束がそこらへんを舞った。オッサンは頬に手を当てながら、惨めに背中を丸めて万札を拾い上げていった。

「やるんすね」

「……」

「やるんすね」

 オッサンは怯えながら、おずおずと頷いた。

 僕はニッコリと笑ってオッサンの手を固く握りしめた。

「よろしくお願いします!!」

 

 

 

 

 そして、ついに、運命の日がやってきた。

 素晴らしい快晴だった。

 

 

 

 

 さすがに面会室に入るときは僕も緊張した。無意味か意味ありかはわからないけれど、相手は一応9人をバラしてゴミにしているのだ。そのうち8人の女性は失禁するまで首を絞められ、レイプされている。

 僕とオッサン、どうでもいいけど苗字は多田らしい、はじりじりして友田の登場を待った。そして、三分遅れで、友田尚之が僕たちの前に現れた。

「あはは」

 座るなり、友田は僕たちを見て、緩く微笑んだ。

「中学生がオッサン連れてきたんですね。社会見学ですか?」

 穏やかなニイちゃん。

 それが初めての印象だった。

「ビョーキみたいに手紙何百通も送ってきたのはそっちの中学生の方ですよね? 確か、健くんって言いましたっけ」

「あの……」

と、弱々しくオッサンが言った。

「友田さん……からも言ってやってください。中学生がこんなことするの異常ですから……」

「黙れよクズ、どうせどっかのホームレスのくせに!! 雑誌社のライターなんて嘘だろ!! お前から風呂入ってない匂いがプンプンすんだよ!!」

 警官がその大声に振り向いた。

 いきなり発せられた友田の圧力に、オッサンが萎縮しているのが明らかにわかった。

「ねえ健くん。俺、家ない奴嫌いなんですよ。ヒモだったとき、いつ女の家追い出されるか不安でしたから」

 友田はアクリル板に顔を押しつけ、調書を取っている警官にバレないような小声で僕に囁いた。

「話したいなら三万差し入れてくださいよ。皆さんから一律で頂いているお金なので。健くん、俺のこと死ぬほど調べてきたんでしょう」

「預けてきました。もちろんです」

「あ。流石です。どうもありがとうございます。で? 死ぬほど会いたいひとに会えた感想はいかがですか?」

「……正直なところ、興奮してます」

 本当だった。

 それを聞いた友田は、へへ、と笑った。そして、メモ用にと、僕の持ってきた白紙の分厚いノートを見て、

「健くん、変態ですね、いや、同族ですかね……?」

と言った。

 すると早くも左隣に座ったオッサンが突如貧乏ゆすりを始めたので、僕は舌打ちをした。

「どうせ、なんで殺したんだってことを聞きにきたんでしょう。聞かれすぎて、答えるのも慣れてきたんです。簡単ですよ。頼まれたんです。『殺してください』って。でも、手にかけた女たちは、俺のクソみたいな家族、特にギャーギャーうるさい父親の家から、引っ張り出してくれて、本当に感謝しかありません。俺がいつもの癖で万引きしようとしたらダメだよ友田くんとか言って、うーん……ほんと真面目でいい娘たちでした。はい。基本、俺にとって、人畜無害で『快』を与えてくれた女たちにしか手を出してません」

「いや、だから、それが意味不明で……いいひとたちだったんなら別に殺さなくても……」

「あのね、健くん。教えといてあげますけど、世界なんて全部所詮おためごかしなんだから、なんでもいいんですよ。なにしてもいいんです、無意味なことも含めてね。ああすればこうなるなんて必然性を本気で信じてるやつの方がバカですよ。大体ね、俺の場合は救世主だと思っていますよ? 女のひとたちも死にたがってましたし。恩返ししただけ偉いと思ってください」

オッサンの貧乏ゆすりがMAXに達して、テーブルをガンガンやるので、僕は怒りを込めてボールペンでオッサンの膝を突き刺した。

「アッ……」

 友田はそのオッサンの反応を見て激しい口調でまくしたてた。

「健くん。そいつ、黙らせてください。鬱陶しいです」

 それから僕の瞳をぐ、と見透かした。

「次の質問くださいよ。……こんなに暇なら、飽きます」

 友田は大きく腕を上に伸ばして、欠伸をした。

 だから僕は急いで学生鞄から座間9人殺人事件についてのデータやその他雑多な解釈が書かれた別のノートを取り出し、急いで、めくりながら言った。

「と、友田さん、あなたは殺害・死体遺棄で捕まる前に、売春斡旋で一度捕まってますよね。そのとき、なにか焦りや焦燥感みたいなものは感じなかったですか? 『このままじゃダメだ』とか、『前へ進まなければならない』とか『今この状態ではまずい』とか……」

「健くん。質問あるんじゃないですか。さっさと言ってくださいよ。そりゃあ、もちろん、ありましたよ? またパクられるんじゃないか、とか」

「有名な社会学者の方が言ってるんですが、人間には『自己決定能力』というものがあります。それは、試行錯誤して、自分の力で学び、またそれを取り込み、再チャレンジする能力のことです。友田さんの場合、それを『殺人』という行為の中で見出して、『成長』していったのではないですか?」

「そんなものは知らないですよ。お金が欲しかっただけです。大体、『成長』って。殺人で『成長』してどうするんですか」

「……わかりました。では、質問を変えます。あなたの『幻想』は、はっきりせず、とても人に共有できるものではなかった。それで、自分のトンチンカンな物語を無理やり人に押しつけるしかなく、被害者を殺した。違いますか?」

「違いますよ。俺はラクして生きたい、ヒモになりたい、ただ、そう思ってただけですよ。これ、別に変な『幻想』とか『物語』ではなくないですか? 万人共通思ってることじゃないですか?」

「……」

「でも健くん。キミ、中学生の割に賢いんですねえ。でもまだまだだと思いますよ。まだ頭で考えて喋ってる。対話っていうのはね、一緒に舞台を作り上げるようなもんなんですよ。価値観が合わないひととわかりあおうと努力することそのものが対話なんです。俺、もうホントわけわかんない女のスカウトやってたからわかるんですよ。その女の頭を洗脳して、引っ張り上げて、風俗に送り込む。例えるなら、演出家のひとが役者に無茶なことを言って、役者はそれに応えるために一度自我を崩壊させる。それで未知の自分を発見していくんです。その意味で健くんと俺はまだ同じ舞台に立ってない」

 その友田の、偉そうで見下したような答えを聞いて僕はガッと頭に血がのぼってしまった。

「だったら僕はどうやってあいつらを殺せばいいんだよ!! なんで僕はイジメられてんだよ!!」

 警官が驚いたように振り向いて、僕は、あ、すみません、少し興奮してしまっただけです、と頭をしっかりと下げた。やばい。ダメだ。相手はたかが犯罪者だ。しかも、極めて凶悪な。

「はは!!」

 友田は腹を抱え、僕を指さして笑いこらげた。

「わかりましたわかりました。今、はっきりとわかりました。健くん、あなたここにきて、俺に自己肯定してもらうために来たんですね?」

 友田は椅子から立ち上がり、僕にぐい、と近づいてきて、急に真面目な表情をして言った。

「健くん、そうなら早く言ってください。なに理論ばっかり話しているんですか? あなた、殺人鬼志望でしょう」

 友田の目の色が変わった。

 

 

 

 

 刑務所からの帰り道、僕は俯きながら呆けたように歩いていた。

 とにかく、心臓がバクバク鳴っていた。

 友田は僕の心を確かに読み取った。取られた。

 黙々と歩いていると、オッサンが、か細い声で僕に言った。

「ねえ、健くん、おじさん、相談乗るよ……キミの言う通り、ただのホームレスかもしれないけどさ、さっき友田に『どうやってあいつらを殺せばいいんだよ』って言ってたよね? キミの顔の痣、毎回凄いし、いじめられてるんだよね?」

「オッサン、うるさいよ……」

「健くん! 聞いて。これは大事なことだよ。アイツの発言を真に受けたらキミまで洗脳されちゃうよ。だって、友田、9人も殺した凶悪犯だよ。いじめのこと、憂さ晴らしでも捌け口でもいいから、おじさんに話してみて」

「……オッサンに話してどうするんですか? オッサン、僕をいじめてる奴ら、殺してくれるんですか? それなら話しますよ、奴の住所とか。今からすぐ行って殺してくれるんですか?」

「……いや、殺しはできないけどさ……」

「じゃあ偉そうなこと言わないでください。僕の世界は変わりません。大体、オッサンに大金払ってるんだから、マトモに仕事してください。今度あんな貧乏ゆすりしたら本当にあなたのこと、ボールペンじゃなくて包丁かなんかで刺しますよ。あなたの仕事はあそこに黙って座っていることです。僕のカウンセラーもどきみたいなことしないでください。余計なお世話です」

 

 

 

 

 僕は帰ってすぐに、スナッフビデオ愛好家にチャットを飛ばした。

 

@Kyumnk

“こんばんは。結構マニアックなスナッフビデオを探しているんですけれど——実際の殺人動画ってありますかね”

 

@Xhhryru

“ありますけど、どんな殺人動画がいいですか?”

 

@Kyumnk

“首絞めで、殺されたあとに失禁して、レイプしてるような。”

 

@Xhhryru

“座間みたいなやつですか?”

 

@Kyumnk

“はい、まさにそんな感じです”

 

@Xhhryru

“殺しからの失禁レイプとなると、長尺なので高いですよ、大丈夫ですか?”

 

@Kyumnk

“高くても大丈夫です”

 

@Xhhryru

“了解です。今データ送りますね”

 

@Kyumnk

“ありがとうございます。ははは。流石に高いですね(笑)今振り込み完了しました”

 

@Xhhryru

“振り込み確認できました。またなんか欲しいのあったら言ってくださいね。できるだけ探しますので”

 

@Kyumnk

“はい! 引き続きよろしくお願いします!”

 

 僕は友田が失禁レイプをなによりも好んだことを座間9人殺害事件のルポを読んでいたから、知っていた。もっともっと友田という人間について、知りたかった。

「健」

 僕は画面に映し出された失禁レイプ動画に夢中で、他のことに気が回らなかった。だから、彼女、つまり、一番聞きたかったその声にも気づかなかった。

「これ……友田はこんなことをしていたのか……」

 全裸の女がロープで思いっきり首を絞められ、ぐえぐえと悶えながら尿を漏らす。床はビショビショだ。顔は見えないが男がもっと力を込めて女の息を止める。それから男はセックスを始める。もちろん女の性器は濡れていないから、男は掌に唾を吐いて性器になすりつける。そして性器を入れられた女は死んでいるのにも関わらず少し痙攣する……

 知らず知らずのうちに、僕はその動画を観ながら勃起していた。そしてズボンから自分の性器を取り出してオナニーをしようとしたとき、PCの隣で佇んでいる真百合にようやく気づいた。

「……健」

「!!」

 僕は急いでPCの電源を落とした。そして急いでズボンのチャックを上げた。

「はは……真百合、一声かけてくれたらよかったのに」

「声、かけたよ」

「あ、そう……」

「こういうの、観てるんだ、いつも。そんな風にして」

 真百合は明らかに僕を蔑んでいた。

「あ、いや、違うよ、たまたまだよ……今年の自由研究は座間市の事件について書こうと思ってるから、まあ、犯人はどういう気持ちなのかなって。深い意味はないよ。全然」

「私ね、時々、健のこと、わかんなくなる……だから、避けてたの」

 真百合は静かに泣き出した。

 僕はその鳴き声に苛ついた。

「健のお母さんとお父さんがおかしいのはわかる。前、大怪我したとき、頭縫ったのも、車とぶつかったって言ってたけど、違うんでしょ? お母さんかお父さんがやったんでしょ? ねえ、なんで私に相談してくれないの。健の家族は明らかに異常だよ。こんな殺人ビデオで発散してさ。病んでるよ、健。だから施設とかシェルターに逃げるとか、色々、まだ、選択肢はあるから」

「施設」

 僕は笑った。

「真百合、ありがとう。心配してくれて。でも僕、学校のやつらにも仕返すから。大丈夫だよ。こんな世界、一発逆転するからさ、もう真百合が犯されないように」

「……一発逆転って……健がいつか、こういうビデオみたいな犯罪をするんじゃないかって……私、思っちゃうよ……」

「するわけないじゃん。ごめん……今日はあんまり誰かと喋る気持ちになれないんだ。別に真百合が悪いってわけじゃなくて、色々考えたいことがあってさ。帰ってくれないかな」

「……ますます健のことわかんなくなったよ」

 真百合は逃げるように僕の部屋から出て行った。真百合は僕を傷つけるかのようにあえて、強く扉を閉めた。

 

 

 

 

 食欲がない。だからなにも食べずにふらふらとしながら学校の廊下を歩いていると、急に美術の先生から呼び止められて、本気で驚いてしまった。

「えっ……なんでしょう……」

「ここで言うのもあれだから、職員室行こうか……」

「いや、ここでお願いします」

 異様に悪い予感がして、冷や汗をかきながら俯いている僕を見て、先生は、じゃあここで、と言った。

「あのね、キミが行こうとしてる美術科なんだけど、向こうの担当の先生から連絡があってね。デッサン試験、残念だけど、落ちたって。総合で判断するから、不合格になっちゃったけど」

「……」

「でもね、落ち込まないで欲しいの。独創性とか、色の使い方は抜群だったってベタ褒めだったわよ。だから、美術科のある高校だけを検討するんじゃなくて、部活なんだけど、美術に強い高校も紹介できるわ」

 僕の目の前が真っ暗になった。

 

 

 

 

 最初の面会の一週間後の水曜日、僕はまた学校をサボって、オッサンと共に友田に会いに来ていた。

「友田さん」

「なんですか、健くん」

 その日も、友田は柔和な笑みを浮かべていた。

「今日はちゃんとしたお願いがあります」

「お願い? 俺に?」

「はい。友田さんが、自分をモデルに書いた小説あるじゃないですか。『ローレン』。あれ、うちの学校、というか、国民全員が読んでるぐらいにバズってるんです。でも、『ローレン』、あの、未完じゃないですか。僕、その、友田さんしか知らない続きの部分を聞いて、貰ってこいって言われてて。じゃなきゃまた殴られて……幼馴染も犯されて……」

「へえ……」

 友田は表情を変えずに言った。

「健くん、そんな苦しい状況にあるんだね。『ローレン』……。なるほど……。うん、あのね、健くん。俺、最近、スランプでね。小説、つまり『ローレン』……の続きを書けないんです。だから、ゴーストライティングっていうんですか? 代わりに健くん。キミが書いてください」

「え……僕ですか……?」

「あのね。教えてあげます。リアルなんてどうでもいいんですよ。だから、俺が書こうがキミが書こうが、関係ないんですよ。皆、騒ぎたいだけです。だから、健くんの書いた文章で世界を変えてみてください。『殺人鬼になりすます』んですよ。それで、その『ローレン』が完成したら、自殺したらどうですか。そんなに酷い状況なら」

「なに言ってるんですか!!」

 オッサンが机をぶっ叩いて立ち上がった。だが、オッサンは友田の鋭い目つきにやられて、また椅子に仕方なく座った。

「……確かに自殺もひとつの手かもしれませんね」

 僕は少し笑った。

「今だってもう、生きてるか死んでるかわからない状態ですから……」

「健くん!!」

「オッサン、うるさいです……」

 僕はため息をついた。

「本当は俺が殺してあげたいけど、日本の法律では二人以上殺したら確実に死刑でね。もうすぐ俺、死刑囚だから。残念だけど。ごめんね、健くん」

 そして、友田は警官に、

「時間です」

と言われて、立ち上がった。

「ああ、セックスしたいなあ……セックス……」

と友田はがらんどうの瞳で、でも心底そう言って、面会室をふらりと出て行った。

 

 

 

 

 それから僕の快進撃が始まった。

 友田の代わりに『ローレン』の続きを書くのは予想以上に楽しかった。友田の犯した犯罪を隅々まで想像して書くのだ。まるで、自分でスナッフビデオを撮影しているかのようで、実際これまで購入したスナッフビデオをただ観ているより快感があった。小説はPCさえあれば、全部自分の好きなように演出できるのだ。

 しかも、毎日ネットに投下すれば、大量のリアクションが来る。ほとんどが気持ち悪い、死ね、頭狂ってんのか、友田を死刑にしろ、という反応だったけれど、ごく一部の人から、共感します、なんてレスも来て、苦しいのは自分だけではないと実感することができた。僕は、『ローレン』を書いているときだけ、生きている、と思うことができた。

 

 

 

 

 僕が今日更新分の『ローレン』をネットの海に放出してから、夕飯前に自室でスナッフビデオをザッピングしていると、父親が急に部屋の扉を蹴り飛ばして開けてきたので、僕は焦ってPCの電源を落とした。

「なにやってる」

「……なにも」

 父親が物凄い剣幕で、しかし真顔で、貯金が入っていた箱をバーン、と床に投げ捨てた。

「勘当だ、健。中学卒業したらな、お前、この家から出て行け。うちはな、犯罪者を養うほど裕福じゃないんだ。大体、うちの貯金もお前が使ったし。一体なにに使ったんだ」
「……」

「言いたくないなら、言わなくていい。もうお前はうちの子どもじゃないんだ。無関係なやつに色々聞いても仕方ないだろ。中学卒業までは居ていい。卒業後、どうするか、考える時間だけはやる。……お前が狙ってた、美術科のある高校に行けなくて、残念だったな」

 父親が部屋を出て行って、しばらくしてから、なぜだか僕は、ヘラヘラと笑っていた。どうせこの件がなくても、高校には行けなかったし。勘当。喜んで。あんたらの元をようやく離れられる。笑いが止まらなかった。そのままの調子だと大声を出して笑ってしまいそうだったので、僕は掌で口を押さえた。でも、自分がなぜこんなに笑っているのか、わからなかった。嬉しいのか、悲しいのか、怒りなのか、もう、感情がぐちゃぐちゃになっていた。

 

 

 

 

 時期を過ぎた桜の花びらが地面に散らばっていた。

 その日はちょうどいい気温で、サボるのにはぴったりの日だった。

 僕はもうほとんど学校に行かなくなっていた。行く必要もなかったからだ。

 朝、準備をしてリビングに降りる。

 僕はアマゾンで買った包丁を常に持ち歩くようになっていた。

 相変わらず母親からの虐待は続いていて、昨日は布団叩きの棒でぶっ叩かれて、体のあちらこちらに青黒い痣ができた。そして、また、終わってから母親は償いの寿司をとった。

「ねえ、健、昨日の残りのお寿司食べてから学校行ってくれない? お父さんとふたりじゃ食べきれないから。ね、食べるでしょ?」

 笑顔の母親が紙皿に何貫か寿司を乗っけて、持ってくる。

「要らないよ……」

「ええー!? なんでよ、健。健の好きな鰻もあるのにー!!」

 本当は差し出された紙皿をはたき落としたかったが、余計なことをしたらまた面倒なことになる。

 父親が食卓に座りながら、黙々と寿司を食っている。

「健な、前に俺が言ってたプログラミングと英語の塾な、申し込んどいた。中学終わるまでだけど、通え。これから社会に出るお前に俺がなにかできるかってことを考えたら、やっぱりプログラミングと英語かなと思ってな。俺なりの優しさ、かな。卒業したらお前は家を出るから、それまでだけど。アパート、探しとけよ。もうお前とは関わらないから絶対保証人とかにはならないけどな。いや、アパートの審査、通らないか。でも、寮付きの仕事とかな、あると思うから、探しなさい。で、塾だけど、来週からだから。資料はお前の部屋に置いといたから、帰ったら見とけ」

 なんだよプログラミングと英語って……。

 僕はそのしょうもなさに呆れる。

 父親の勝手な文句を適当に聞き流して、僕は家を出た。

 そして、近くの花見スポットで寝そべって、ボケーっとして、学校が終わる時間ぐらいに家に帰る。その生活がルーティーンになっていった。そして、僕は、煙草を覚えた。とにかく現実から逃げたくて、セブンスターを一日二箱吸うようになっていた。

 この花見スポットはたくさんのカップルで賑わう。僕はカップルを見ながら、独り言をぶつくさ言っていた。

「……普通にブス」

「デブ専、キモ……女の足、大根みたいだな」

「オタサーの姫か? だって、相手の男、モサいもんな……明らかに釣り合ってねえし」

「死ねよカス男……人相悪りぃんだよ……」

 しかし、煙草を吸いながら通りゆくカップルを見ていたら、とんでもない光景を見てしまった。

 なんと真百合と不良グループのリーダーが腕を組んで歩いてきたのだ。

「おーおー、嘘だろ……マジか……」

 ふたりは楽しそうに、キャッキャとはしゃぎながら、スタバのコップを持って桜の木の前で写メを何枚も撮っていた。

 そしてリーダーが真百合の肩に手を回して、キスをする。

 真百合は全く嫌がる素振りをせず、リーダーにキスを返す。

「あはは……そうですか……あんた、そっち側に回ったってことか……」

 正直、この光景を見て、僕の心はズタズタになった。こんな世界……

 

『……一発逆転って……健がいつか、こういうビデオみたいな犯罪をするんじゃないかって……私、思っちゃうよ……』

 

 僕は、ラブホテルに向かおうとしているリーダーと真百合の後をつけて、ふたりが路地に入った瞬間真百合の背中に包丁を突きつけた。真百合が振り向いた。

「た、健……!? なんでここに居るの……!?」

「テメー、なにしてくれてんだよ!! 包丁は卑怯だろ!! 俺が一度でもお前に凶器向けたことあるか!?」

「うるさい。この場でふたりとも殺してもいいんだから」

 リーダーは僕のその言葉を聞いて黙りこくった。

「真百合」

「……お願いだから、その包丁をしまって」

「テメーに発言権なんかないんだよ。お前は裏切り者だ。僕のことを心配しているかのようなふりをして、結局権力と寝るクソ女だってことがよくわかったよ。僕は、幼稚園のときから、お前に振り回されて……」

「……私に振り回されたって言うけど、健は自分で現状を打破しようとしたの? 私が施設に逃げなよって言ったのに、両親にやられっぱなしで、殺人ビデオで発散してさ、あんたは結局なにもしなかったじゃない!!」

 僕はため息をついた。

 真百合はなにもわかっていない。

「……飽きた」

「え?」

「もうお前とこの状況に飽きた。行けよ。安っいラブホでこの金髪とチンケなセックスしろよ」

 僕はもう一度、真百合の背中に包丁を突き立て、軽く押した。

 ふたりは逃げるように、走って行った。

 僕は、ふたりが行ったあと、その場にしゃがみこんだ。

 倦怠感がドッと襲いかかってきた。

「なんでこんなこと僕がしなくちゃならないんだよ……」

 僕は、顔を覆ってだらだらと涙を流した。

 

 

 

 

 

 僕と友田さんの面会はもう何十回というレベルになっていた。

 最早、友田さんは僕の人生において、一番重要なひとになっていたから、事件のことだけでなく、僕自身のプライベートの話などもするようになっていた。

「友田さん、こんにちは」

「ああ、健くん、こんにちは。毎回三万、差し入れしてくれてどうもありがとう。だいぶ貯まって、獄中だけど、快適な生活を送れています。でも今日で終わりなんだ。この刑務所から別の独房があるところに移ることになったから」

「……!!」

 僕は普通にショックを受けた。

 その僕の様子を見て、友田は微笑んだ。

「悲しんでくれてありがとう。ああ、そういえば『ローレン』の続きは、どうですか。反響とか、ありましたか」

「……友田さんの代わりに書くのは、楽しいです。リアクションもたくさん来ますし……。感謝しています。僕に役割を与えてくれて」

 オッサンが僕を怪訝な顔で見た。

「ああ、そういや、俺ね、パイプカット、つまり去勢ですね。したんですよ」

「え……パイプカット……それはなんでですか?」

「俺は、昔から人より性欲が強くて。今となっては、もう女のひとを抱けないわけでしょう。無駄な性欲が出てきて辛いんです。でね、俺なんかみたいな凶悪犯にも、稀有なファンが居てね。俺にはそのファンの気持ちなんて全然わからないですけど。だって、俺は9人も殺してるんですよ。そんな奴を応援するなんて訳わからないでしょう。中には、獄中結婚したいとか言ってくるトチ狂った女まで出てきて。もちろん断りましたけど。その女、別に俺のタイプじゃなかったから。タイプだったとしても断ってたな。だって頭おかしいから。でもね、まあ、そのファンがくれたお金で。手術したんです」

「そうですか……」

 僕は、改めて友田に聞きたかった。

「……なんでこんな大きな事件になってしまったんですかね……?」

「今どき社会で本当の自分の素を晒したからってちゃんとした絆なんて結べないわけでしょう。今は素もツイッターの匿名アカウントも同義ですよ。誰とも繋がれないその虚しさをわかってるから、女のひとは俺についてきたんですよ」

 友田さんはアクリル板に向かって、極めて小さな声で囁いた。

「健くん、キミだけに教えますけどね、実際は9人だけじゃないんです。ふたりだけ、バラさずに埋めたんですよ。座間谷戸山公園の裏に。この季節だったら……とっても綺麗なピンクの蓮華がね、異様なほど生えてるところが目印」

 僕同様、オッサンも流石に驚愕していた。というか、オッサンは絶句していた。

「……。なんで解体しなかったんですか……!?」

「金とセックスだけが目的だったんですけどね、そのふたりの女性だけは、こんな俺に、付き合いたい、いずれは結婚したい、子どもも産みたいんだと、そう言ってくれたからです」

 

 

 

 

「……オッサン、僕から逃げようとしてるでしょう」

 刑務所から出て、僕は開口一番に言った。

「健くん、いや、その……なんていうか……僕も精神的にキテるっていうか……最近よく悪夢を見るんだよ……アイツが死体を解体しているところとかね……正直限界なんだ、健くん、悪く思わないで欲しいんだけど」

 僕は、学生鞄から財布を取り出して、残りの金全部をオッサンに渡した。

「三十万あります」

「……」

「僕、今日の夜、座間谷戸山公園に行って、友田さんが埋めた残りのふたりの遺体を掘り返そうと思うんです。死体見たらもちろんまた埋めますけど……オッサン、これが最後の仕事です。この仕事が終わったら、もうどっか別の県に飛んでも大丈夫ですよ……」

「健くん、なんでそこまで……大体、アイツの言ってることが本当だとは限らないじゃないか」

「まあそうですけど……僕もこの十四年間生きてきて、結局誰とも繋がれなかったので……友田さんについて行った女のひとがどんなひとだったのか、知りたいんです。好奇心っていうか。いやね……想像できないんですよ……これから誰かとどうなるかとか……付き合うとか、結婚するとか……ましてや子どもなんて……」

「健くんはまだこれからじゃないか!! 人生まだ長いんだから!! だって考えてごらんよ、こんな僕でも一度は結婚して、子どもも産まれてるんだから」

「そりゃ、オッサンはいいひとだから。お願いします。これが本当に最後なので」

 僕はオッサンに深々と頭を下げた。

「シャベルとかはこっちで用意します。家に……ジャージも二着くらいは、あったと思うので……」

「健くん、今日で最後でいいんだね? 本当に最後だね?」

「はい」

「……わかった」

「じゃあ、夜七時にいつものベンチで」

 オッサンは泣いていた。

「……なに泣いてんすか」

「いや、なんでもないよ……」

「怖くなったんですか?」

「違う。健くんみたいな、まだ若い男の子が……」

 このままオッサンの感傷を聞いていると、これまで我慢していた僕のなにかが一気に溢れそうだったので、僕は走り出した。

「健くん!!」

 もう僕は振り向かなかった。

 

 

 

 

 座間谷戸山公園には夜九時ぐらいに到着した。もちろん開いていないので、フェンスをよじ登って中に入った。そして裏手に回った。

「アイツ、蓮華が咲いているところだって、そう言ってたね」

「でも、蓮華なんて、あそこぐらいしかないじゃないですか」

 僕は指差した。

「じゃあ……あそこなのかな……」

 僕とオッサンは蓮華が咲き乱れている場所へ向かった。

「じゃあ、掘りますね」

「……うん」

 オッサンは覚悟を決めたようだった。

 それから二時間ぐらい、僕たちは汗まみれになりながら、一心不乱に土を掘り返していった。

「健くん……ちょっと今ゴツッって言ったんだけど……」

「マジですか」

「うん、ここ……」

 懐中電灯で照らすと、赤いワンピースの端切れのようなものが見えていた。

「オッサン、やりましたね!!」

 僕はそれを目印にさらに掘りまくった。

 すると、腐乱しかけていたものの、ふたりの女性が手を繋いだみたいな状態で発見された。

「……!!」

 僕は死体をまじまじと見つめた。

 この女性たちは、友田さんのことが本当に好きだったんだ。だから、バラされなかったんだ。

 僕はその死体に、純愛を感じた。

 と同時に、真百合と金髪のことが脳裏に浮かび上がってきて、僕は頭をぶんぶん振った。

「健くん、この右側のひと、お腹膨れてない……? まさか妊娠してたんじゃ……」

「ああ……本当だ……膨れてますね」

「自分の子どもを妊娠してた女のひとを埋めるなんてやっぱアイツは正気じゃないよ!! お願いだからさ、もう、健くん、この事件に足突っ込むのはやめてくれないかな……おじさん、本当にキミが心配なんだよ……」

「これ、友田さんはきっと、このまま保存したかったんですよ」

「え?」

「自分への愛の象徴として」

 僕は、その女のひとの膨らんだお腹を、スマホのカメラで何枚か撮った。

「いいなあ……友田さんは、ちゃんと誰かと、繋がってたんじゃないか……」

 

 

 

 

 そしてそれからまもなく、友田さんの死刑が確定した。

 僕は狂った。昼から母親に暴力を振るうようになった。

 もう僕の本当の気持ちを曝け出せるひとが居なくなった。

 だから、父親が仕事で居ないときに灯油を買ってきて、母親にぶっかけた。

 ここまでスカッとしたことはない。

 そして、ガムテープで母親の口と手を縛る。煙草を吸いながら、ライターの火を近づける。そして僕は言う。

「お前、今までのこと土下座して謝れよ。このイカれ女。親父に言ったら、お前、死刑な」

 母親はゴミ溜めの上でジタバタ暴れる。

 僕はそれをビデオカメラで撮影しながら爆笑する。

 母親はウーウー言ってなんとかこの状況を打破しようとする。

 だが、きつく縛ってあるので、自力でほどくのは無理だ。

「このビデオ、いくらで売れるかなあ……? でも犯してもないし、殺してもないから、高くは売れないだろうなあ……」

 僕はビデオカメラを母親の近くに置いて、リビングに行き、テレビを持ち上げた。

 力任せに引っ張ったからか、コードが色々切れる音がした。ブチブチ。ブチブチ……。

 シャープのニューモデル。

「このテレビには思い入れがあるなあ……」

 僕はテレビを母親の前に担いできた。

 母親は恐怖に満ちた顔で僕を見た。

「お前が僕にしたことだよ。まさか忘れたわけじゃないよなあ?」

 そして、僕は、母親の顔面を狙って、シャープのニューモデルのテレビを思いっきり投げつけた。

 テレビの画面が粉々に砕け散った……血……

 僕は救急車を呼んだ。

「すいません、お母さんが階段から転げ落ちて、とにかく血が凄い出てるんです……今すぐ来てもらえますか?」

 電話を切った後、母親を縛っていたガムテープを剥がした。

 血まみれの母親がおそるおそる口を開いた。

「もしかして、健がこんなふうになったのは、私たち家族のせいなの……?」

「こんなふうってなんだよ……明らかにあんたの方が頭おかしいだろ……。やってみてわかったけど、ひとに危害加えるって結構体力使うんだな……僕、疲れたよ……」

「お母さんとお父さんが悪いの!?」

「あんたらはずっとわかってたはずだよ。もちろん、お前らのせいだ。今更、なに言ってんだよ……勘弁してくれよ……」

 その後、僕はビデオカメラの録画を止めて、テレビを元の位置に戻した。そして、救急車がやってきた。

 

 

 

 

その日の放課後。

体育館裏。

休学届を出しにいったところを不良グループに捕まった。

真百合は健を申し訳なさそうに見ながら、リーダーの横にそっと寄り添っている。

健はそんな真百合を見ながら、自分の中から、正気がぷつぷつと失われていくのを感じとっている。

健、リーダーに言う。

「毎回バズってるからもう読んだと思うけど、『ローレン』の続き、お前らの言う通り友田に聞いてきたから。完結したんだよ。一昨日だか、ネットニュースにもなってただろ。僕にもう関わるな。今日休学届を出してきた。このままもう一日も学校に来ないつもりだからお前らともサヨナラだ」

リーダー、それを聞いて、不敵な笑みを浮かべる。

健、そのボスの顔を見て不安になる。

「今日の朝のネットニュース見たか?」

「……は?」

「俺たちが最初に読んでた『ローレン』の作者が名乗り出たんだよ。これ以上、世間を騒がせるわけにはいきません、すいません、ゴーストライターも出てきたのでこれ以上被害を出すわけにはいきませんって謝罪しやがった。だから友田は最初から『ローレン』を書いてない。お前が聞いて書いた話は全部デタラメってことだよ!! わざわざ友田に会いに行って、嘘を聞かされてたってわけだ。お疲れ様!!」

健、それを聞いて、一瞬驚いた顔をして、それからしゃがみこむ。

「友田さん……ははは……流石だな……そうか、最初から嘘だったんだ……元から書いてないってか、おそらく『ローレン』の存在自体も知らなかったんだな……まあ刑務所はネット禁止だから知ってるはずもないよな……なんで気づかなかったんだろう、僕……こりゃやられたな……ははは……」

健、額を押さえ、天を仰ぎながら笑っている。

「お前、なに笑ってんだよ。気持ち悪いって!! この前も包丁持って俺らをつけてきたし、マトモじゃねえよ」

「全部がフィクションか……そうか……ははは、マジの殺人鬼は凄いな……」

「独り言ウザいって。お前、頭、イッちゃったんじゃねーの? おい、こいつ押さえつけろ」

健、不良グループに囲まれる。

制服のポケットから包丁を取り出す。

健、リーダーの後ろに回って、その首に包丁を当てる。

「友田さん、僕、言われた通りに『殺人鬼になりすます』よ」

不良グループ、危険を感じてザッと健から離れる。

「おいおいコイツ、マジでイッてるわ!!」

不良グループ、ばらけて逃げ出そうとする。

だが、健が、機嫌良さげな顔でリーダーの首に包丁をぶっ刺したので、グループの全員が固まってしまう。

リーダー、呆気なく地面に倒れる。首の傷口からドピュドピュと血が噴水のように吹き出す。

真百合の悲鳴が響く。

健、そのまま包丁を持って歩き、山崎まさよしの『セロリ』を口ずさみながら、不良たちをメッタ刺しにしていく。

「育ってきた環境が違うから……」

体育館裏が血の海と化す。不良グループが胸や腹を押さえながら悶え苦しみ、死んでいく。

「好き嫌いは否めない……」

健、まだ生きて逃げようとしている不良の胸を何度も何度も突き刺す。横たわった不良、口から血を吹いて絶命する。

「夏がダメだったりセロリが好きだったりするのね……」

真百合、この凄惨な状況を見て、健に向かって言う。

「あんたなにしてるかわかってる!? マジで人の心捨てたんだよ!! あんたのせいでどれだけ私が迷惑だったか、その気持ち考えたことある!?」

「……お前が言えた立場かよ」

「確かに私は健のこと、裏切ったかもしんないよ。でもそうじゃなきゃ私もこの学校で生きていけないの!!」

「売女がガタガタ抜かしてんじゃねえよ……」

「もういい!! あんたと居るとこっちまで頭狂いそうになるわ!! この殺人鬼!! どっか行ってよ……いや、私がどっか行くわ!!」

真百合、校門の外に向かって走り出す。

健、一瞬我に返って目を大きくするが、真百合の発言が理解できず、意外な顔をする。

健、真百合を追って、全力で走り出す。

そして、校門前を走っている車の前に真百合の背中を押す。

次の瞬間、地響きのようなドンッという鈍い音がする。

健、包丁をぶらぶらさせながら、音の方に向かって歩いて行く。

真百合、車に轢かれて道端で倒れている。

パックリ割れた頭からは大量の血が出ていて、明らかに助からないことがわかる。

運転手が焦って車から降りてくるが、健の持っている包丁に気づいて、静止する。

健、死んだ真百合を見て、呟く。

「僕は、ずっとずっと、キミのこと、昔から、信頼してたのになあ……こんなこと、本当はしたくなかったよ……だって好きだったからね……」

生徒たちが何事かとわらわら集まってくる。

健、極めて静かに、皆が見ている前で、真百合の上に跨る。

深緑を足す。藍色を混ぜる——。紺色を背景にしてもいいかもしれない。僕の頭の中で、絵が完成しつつある。

「……真百合、もう一回、ピカソくんって、呼んでくれよ……」

そして、友田の性欲が乗り移ったかのように制服を破って、真百合を死姦する。

多田がいつもの焼きそばパンの袋を持って近くを通りがかる。

多田、驚愕する。

そして健の近くに駆け寄る。

「健くん!! なななに……目を覚ましなさい!!」

真百合を夢中で犯していた健、ようやく多田に気づく。

そして、笑いながら手を振る。

「ああ!! 多田さんじゃないですか!! こんにちは!! あの! 今まで付き合ってくださって本当にどうもありがとうございました!!」

 

 

 

【参考】

ジャスティン・カーゼル『ニトラム』(2021)

赤堀雅秋『葛城事件』(2016)

宮台真司『透明な存在の不透明な悪意』(春秋社)

小野一光『冷酷 座間9人殺害事件』(幻冬舎)

渋井哲也『ルポ 座間9人殺害事件 被害者はなぜ引き寄せられたのか』(光文社新書)